松永尺五関連エントリー

藤原惺窩

... 安土桃山・江戸初期の儒学者。播磨(はりま)の人。冷泉(れいぜい)家の出身。名は粛。字(あざな)は斂夫。初め相国寺に入ったが、のち還俗(げんぞく)。朱子学を究め、門人から林羅山・松永尺五らを輩出した。 著「四書五経倭訓」「惺窩文集」など。

藤原惺窩

梅まつり

... その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬した。 ...

梅まつり

「益軒忌」、儒学者・貝原益軒の忌日。

... このころ 木下順庵 、 山崎闇斎 、 松永尺五 ら多彩な学者・文人らと交わった。帰藩後、藩士としての正式の待遇を与えられ、儒学者として藩主や重臣に朱子学を講じたほか、 藩命により「黒田家譜」を編纂したり ...

「益軒忌」、儒学者・貝原益軒の忌日。

[登場人物] 市塵

... 儒学 を 松永 尺五に学び、一時 江戸 に出たこともあるが、帰洛後、 加賀 国 金沢 藩主 前田 利常に仕えた。1682年( 天和 2年) 幕府 の儒官となり、5 代将 軍 徳川綱吉 の侍講をつとめた。 ...

[登場人物] 市塵

湯島天神に初詣(*`д´)b

... その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。 ...

湯島天神に初詣(*`д´)b

松永尺五とは?

松永 尺五(まつなが しゃくご(せきご)、文禄元年(1592年) - 明暦3年6月2日 (旧暦) 6月2日(1657年7月12日))は江戸時代の儒学者。京都出身。松永貞徳の子。名は昌三、字は遐年。戦国時代随一のフィクサーで茶人としても有名な松永久秀は尺五の曽祖父である。
藤原惺窩の門人で、儒学程朱学派に属する。林羅山・那波活所・堀杏庵とともに窩門四天王の一人。
幕府や藩に対して仕官はせず、京都に春秋館という私塾を設ける。その後、講習堂や尺五堂といった私塾も設営する。
弟子に木下順庵、貝原益軒など多数。
一切経抜萃
大海一滴
彝倫抄
五経集注首書
四書事文実録
古文後集首書
尺五先生全集

松永尺五の詳細